【看取り】窒息に注意せよ!いや絶対に窒息させるな!穏やかな死を迎えるための終末期の食事介助

ももたんの介護

1:【看取り】窒息に注意せよ!いや絶対に窒息させるな!穏やかな死を迎えるための終末期の食事介助

終末期のイメージ

これは介護する全ての人(家族、介護職員、看護職員、医師など)に言いたいことです。

終末期の食事介助は、窒息を避けることを最優先し、必要な場合には勇気を出して食事を中止することも考えてください。

基本的に食事をしなければ人は死にます。

でも終末期においては状況が違います。

そもそも食事を食べなくなってきています。

最悪なのは食べ物が喉に詰まる窒息。

これは絶対に避けなければいけません。

終末期で眠りから覚めていないときに食事を与えるなんて言語道断!

終末期の食事介助のキーワードは「とにかく無理をしない!」。

これに尽きます。

今日は穏やかな死を迎えるための終末期における食事介助についてお話しします。

穏やかな死のイメージ

2:そもそも終末期とは?

終末期とは、老衰や病気が原因で数週間~数日以内に死を迎えるだろうと予想されている時期のことです。

医師、家族、本人、介護事業者の間で死の受け入れについて話し合いができていることが前提となります。

ただし医師との最終的な話し合いの段階においては、本人はすでに判断ができない状態であることが多いです。

その場合は元気だった時の本人の発言や、本人が事前に用意しておいた「リビング・ウィル」を根拠に家族が代理で「終末期医療に関する同意書」などに署名することになります。

自ら日本尊厳死協会に加入する方もいらっしゃいます。

でも私の経験上、加入しなくても普段から家族内で死についての共通認識が取れていればOKです。

「終末期医療に関する同意書」(俗に言う「看取りの同意書」)は、すべての医療機関ではありませんが、終末期の話を医師と相談するときに医療機関側が用意してくれる場合もあります。

介護施設に入居している場合は介護施設が用意してくれることも多いです。

また在宅のケアマネジャーが用意してくれる場合もあります。

必要に応じて各所に相談してみるのが良いでしょう。

いずれにしても終末期とは、治る見込みのない状況で医師から看取りの段階と言われている状況のことです。

看取りのイメージ

3:食べないから死ぬのではない。死期が近いから食べなくなるのです

人間は誰しも、この世を旅立つ前の数週間から数ヶ月前くらいから徐々に食べ物を食べなくなってきます。

私は約20年の介護経験を通して、自分の親も含めて数百人以上の方の旅立ちを見届けてきました。

中には突発的な疾患(心筋梗塞や脳梗塞、クモ膜下出血など)で亡くなる方もいましたが、多くは自然な流れでの死です。

その中には、がん患者さんも含まれます。

そんな自然な死を迎える人々は、死ぬ数日前から数週間前はほとんど食事を摂らなくなります。

私は現場で何度もそのような人たちに「お腹空かないですか?」「苦しくないですか?」と問いかけてきました。

返答は「全然苦しくない」「お腹は空かない」「いくらでも眠れる♪」といった内容が多かったです。

すでに床ずれ予防や清潔の保持は意識してケアしていきますが、食事は提供してもほとんど召し上がらない段階のお話です。

だんだん夢の中にいる時間が増え、最後はそのまま旅立たれます。

多くの場合は苦痛を伴っているようには見えませんでした。

残されるご家族の気持ちは私も経験者としてよく分かるのですが、人の死は自然なこと。

苦痛がなければ、そっとその旅立ちを看取ることも大切です。

見守りのイメージ

4:医師に飲み薬の中止を依頼する。それは窒息防止のため

死を数日先に控えた人にとって、苦痛を取り除く以外の薬にどのような意味があるのか?

お年寄りは、いろいろな薬を飲んでいるのが普通です。

血栓予防の薬から便秘薬、認知症の薬などなど。

でももうすぐ旅立つ人に、それらの薬はどのような意味を持つのか?

これは考えなければいけません。

「食事が摂れていないのだから、便が出るわけないよな?」

「体へのインがないのだから、体からのアウトがないのは当然よね?」

「徐々に昏睡状態になっていく人に認知症の薬が必要?」

このように考えなければならない理由は、食事を摂らなくなっている人にとって薬を飲ませることが窒息につながる危険性があるからです。

そのまま楽に旅立つことができるのに、薬を喉に詰まらせしまうことで苦しい思いをさせることは、終末期では絶対に避けなければいけません。

ベテランの看護師や介護職員、医師はその点をよく理解しています。

でも終末期において窒息事故を起こすときは一瞬の出来事です。

なぜそんなことになるのか?

その理由をこれから説明します。

一般的に、自宅や施設で医師の訪問診療を利用していると2週間に1回の頻度で医師が診察に来てくれます。

場合によっては「もし次回の診察までに呼吸が止まったら連絡をお願いします。そしたらいつでも死亡確認をしに来ます。」と医師が言うこともあります。

普通に考えれば穏やかな看取りの段階なのですが、その段階でも薬がそのまま継続されて処方されているケースも多々あります。

医師は診察時に「薬が飲めないようなら、無理に飲まなくても良いですよ」と言っているのですが、職業として介護をしているヘルパーや介護福祉士には「薬を飲んでもらわないといけない」という義務感があります。

先にも述べたベテランの看護師や介護職員なら、「もう薬は飲ませないほうがいいな」という判断が付くのですが、看取りの経験が少ない介護職員は無理に頑張ってしまいます。

自分では薬を中止する判断がつかないのです。

それはご家族も同じで、時々、ご家族の中にも頑張ってしまわれる方がいらっしゃいます。

ですから「いよいよ最期の段階かな?」と思ったときには訪問診療に立ち会って「先生、食事もだんだん食べなくなってきているようなのですが、薬を中止していただくことはできますか?」と医師に伝えることが大切になってきます。

正直、ご家族から医師に言うのはとても勇気がいることだと思います。

その場合は事前に訪問看護や施設の看護師などに相談しておくと、代わりに医師に言ってくれることが多いです。

私も現場では、家族に代わって医師に家族の要望を伝えていました。

「口から薬が飲めなくなっている状況」と医師が判断をしたら「飲み薬はすべて中止しましょう。これから先は痛みが出たら痛み止めの座薬を使ってください。」などの代替案を出してくれます。

薬に対する気持ちのイメージ

5:苦痛を取り除くことは医療の最優先課題。むしろ苦痛を取り除くことだけ。座薬、貼り薬、点滴、注射などを選択してもらう

終末期における医療の役割は、苦痛を取り除くことです。

間違っても一分一秒の延命をすることではありません。

そのため、医師には苦痛を取り除くあらゆる手段を提案してもらいましょう。

場合によっては強めのお薬を使うことで夢の中に早く行ってしまうこともあるでしょう。

それでも苦痛を取り除かないと、たとえ意識があってもそれは「人としての人生を生きている」とは言えません。

がん患者さんの場合は「レスキュードーズ」といって、痛みが出たときのための強めのお薬や医療用麻薬を用意しておくことがあります。

もしかしたら医師が点滴を選択するかもしれません。

あまり終末期では延命の意味を含む点滴はお勧めしませんが、苦痛を取り除くための点滴であれば大きな意味があると思います。

口から薬が飲めなくても、点滴から痛み止めが使えるからです。

貼り薬でも、がん性の痛みを取ってくれるものがあります。

場合によってはどちらも医療用麻薬を選択されることがあるかもしれませんが、苦痛を取り除くためには必要な選択の一つです。

いずれにしても終末期の医療には苦痛を取り除いてもらうことを最優先にしてもらうのが良いと思います。

今は経口薬以外にも色々な薬を選ぶことができるようになっています。

ちなみに医療用麻薬は管理が厳重なので、間違いなく管理ができる方法を話し合うことが必要になってきます。

オピオイドのイメージ

6:窒息で亡くなると残される家族の心に大きな傷が残る

最期の最後に穏やかに旅立っていただくために、窒息を避けるというのはとても大切なことなのです。

窒息は残される家族の心に大きな傷を負わせる事故となります。

ですから医療機関も介護事業者も家族も力を合わせて窒息は避けなければいけません。

そこには医師の判断だけでなく、普段から様子を看ている看護師や介護スタッフ、ご家族が勇気を出して本人に代わって自分の思いを伝えることが大切です。

自然な死を迎える場合、多くは眠りながら旅立ちます。

そばで見ている限り苦痛がなさそうに見えることも多いです。

できれば一人でも多くの人に、そんな安らかな旅立ちを迎えてほしいと思います。

クマのぬいぐるみとハートの写真

7:終末期における食事の意味

食事形態にはトロミがついた食事からゼリー状の食事など、様々な形態の食事があります。

これは医師や看護師、言語聴覚士、ケアマネジャーなどと相談すれば色々と提案してくれます。

しかし、ここでは技術的な食事形態のお話ではなく、「終末期における食事とはどういったものか?」というお話をします。

ガーゼに水分を湿らせて、唇を濡らす程度の食事もあります。

寝ている時間が増えてきているときは無理に起こさず、枕元に食事を置き、目覚めなければそっと下げることもあります。

よく「昏睡状態なんだから食事を用意しなくてもいいんじゃない?」という意見もありますが、それは倫理的に賛成できません。

経済的には無駄と思われることでも、食事を置いて、そっと下げるだけでも人として大切なことだと思っています。

「陰膳(かげぜん)」という言葉もあります。

人が亡くなられた後も、故人にお供えする食事のことです。

日本にはそのような文化もあり、私たちは食事を通して命や魂をつないでいます。

ですから呼吸があるうちは食べないと分かっていても、ちょっとした物でも用意すべきだと思います。

それは残される家族の気持ちを支えるためでもあります。

家族が食事提供の中止を申し出るならまだしも、介護事業者側から食事の中止を申し出ることがあってはいけません。

ベッド脇に置かれた食事

8:番外編。経験上、窒息の原因となるのはお寿司が多い

特にどこかからデータを持ってきたわけではなく、私の経験上のお話です。

残念ながら窒息して旅立たれるお年寄りも一定数います。

その中でも原因として圧倒的に多いのはお寿司です。

ご家族が「本人が好きだから」という理由で差し入れたお寿司が原因となることが多いんです。

多くの施設では差し入れる食べ物まで管理しますが、「どうしても本人が好きなので食べさせたい」と、こっそりとご家族が持って来られることもあります。

ひとこと差し入れについて教えてもらえれば、看護師が食事介助するなり打つ手があるのですが、そうでないときに事故が起こります。

事故後、一様にご家族は落ち込みますが「最後に本人が好きなものを食べさせてあげられてよかった」という声も聞くので、本当は何が良いのかわからなくなることもあります。

本人とご家族が後悔しないのであれば、それが一番良いことであることだと思います。

冒頭にも述べたように、終末期の食事介助に無理は禁物です。

事前にご家族、医療機関、介護事業者と密な話し合いができていると、本人のためにもっと良い看取りができるかもしれません。

お寿司のイメージ